一人と一人(1)


人間とは二本の足で立って歩く生き物のはずだがどうやら違った。一人の力でまっすぐ歩き続けることができない。骨折したとかではなく、自分一人生かすモチベーションを一人で捻出し続けられない。


なんかの病気というわけでもなかった。単に心が弱くて、そういう性分だってだけ。一人でだめなら誰かに頼ればいいのでは? しかしそれもできない。


彼女もおそらくそうだった。









2017年5月14日

誰にも気づかれないようにツイートする方法がある。

@tosなど、いくつかの存在しないアカウントに対して飛ばしたリプライは誰のタイムラインにも流れない。その仕様を利用してこっそりつぶやく人もいるらしい。


私は一人のフォロワーさんがそうしているのを偶然見つけた。本人的にはあまり公言したくないらしい、やや男っぽい趣味について熱っぽく書かれていた。ほぇーそうなんだ。私もやっていたことがある。

その人とは同じゲームをやっていたのが縁でフォローしあって、しかし日常的に話す仲ではなかった。昔からやってて強そうだくらいの印象だった。あっちから見た私もそんなもんだったと思う。


しかし。先のささやかな秘密が気になって私は彼女のページをちょくちょく覗くようになった。


普通の人のようにうまくいかない



どうやら人に見せたくない、自分の弱いところをこっそり書いているようだった。誰にも言えない、誰かに聞いてほしいこと。


一通り読んで、むかし似たようなこと考えてたなと思った。なんで他の人みたいに毎日学校に行けないのか。予定を立てたらその日までがんばろうってなるのを繰り返していけば生きていけるんじゃないか・・・



悩みを相談されるけど、自分の悩みは相談できない ― 聞く方の立場だったら、打ち明けてくれて嬉しいと思う。

病院に行くべきなんだろうか ― 薬飲んでもパリピになれないんでやめたけど、一度行くとためになる話を聞けるかもしれない。



・・・なんとなく親近感が湧いてきて、ちょくちょくリプライを送るようになった。

「それな」的な返事がきた。「わかる」と返した。嬉しかった。微妙な話題に嫌な顔せず答えてくれたこと。話し相手ができたこと。

嫌な顔はしていたかもしれない。









6月25日

6月下旬。何週間かぶりにTwitterを開いた。自分が落ち込んで足踏みしている時、他の人がどんどん先に行ってしまうのが辛いので、そういう時は見ない。


彼女のページを開く。


突然消えたら何人の人が気づくだろう

死んだ方がいいって気づいてから何か変わった気がする



えらい落ち込みようだ。どうやら親しかった誰かと仲違いしたらしい。次の日になるとそのツイートは消えていた。よく見ると今までの他のツイートも全て消えていた。くれたリプライも全部消えていて悲しかった。


次第にロープがどうだの不穏な単語が頻出するようになった。数日後にはうっかりうまくいっていなくなってしまいそうだった。何か気の効いたことを言いたいがさっぱり思い付かなかった。とりあえず明日もいてほしいと思い「また明日」と送るも返事は来なかった。


SNSでこんなのはしょっちゅうだ。私もいつもならかまってちゃんうぜぇ・・・とスルーするところだ――@tosがついてなかったら。


不特定多数に大げさなことを言って、誰でもいいから声をかけてほしいわけじゃない。特定の誰かが見つけてくれるのを待っている。それは恐らく、数日前まで仲良くしていた人なのだろう。私じゃない。しかし、そのつつましさが私の気を惹いた。何か言わずにはいられなかった。


今まではあんまり深刻にならないよう、誰かに見られても恥ずかしくないよう冗談半分に話しかけていたが、もうそんな雰囲気ではなかった。普通にリプライを送るのはためらわれた。


DMを送るか? 行方をくらましていると妹が安否確認に送ってきてくれるくらいで、見ず知らずの人に送ったことはなかった。私はこのよく知らない誰かに勝手に感情移入して、何を一人で盛り上がっているのだろう。


最後のツイートからだいぶ時間が経っていた。もしかしたらもう死んでるかもしれない。日曜日の夕方、頼まれて公民館の掃除をしていたがまるで身が入らなかった。半時間くらい部屋をうろうろして、ようやく送った。



DMしてもいい?









30分くらい経つと返事がきた。『どうぞ』。

もうしてるけどね。ドヤ



解消できない不安に苛まれ続けてまで生きていたくない。鏡を見ても自分の名前を見ても自分がなんなのかわからなくなる。自分一人生かすモチベーションを自分一人で捻出できない。・・・というのはすごくよくわかる。書いてたことと少し違うかもしれないけど、自分はこう思ってる。だったらなんなのって感じだけど、でも‥さんがいなくなったら寂しい。


ーいなくなったら寂しいって、よくありそうな言葉に思えるけど、どういう返事を期待しているのか


鋭い。困った。


ーネットに逃げて居場所を見つけても現実は何も変わらない、死ぬのを引き伸ばすのは迷惑かける時間も伸ばすだけ


ありのままの感情が簡潔に書かれていた。どこか似たところがあると思っていたけど、この辺は違うなと思った。私は落ち込むにしても誰かの迷惑を鑑みることは一切なかったし、思ってることをこんなにすっきりまとめられない。
二言三言やり取りしただけの人でも、明日から話せなくなると思うとやっぱり寂しい。現実の身近な人間ですらどうにもできないのに、こんな訳わからん他人がどうこうできるわけがない。でも、このまま見なかったことにしてほっとくのはどうしても嫌だった。

反対に私が死にそうになっていたら、何かしら言葉をかけてくれるんじゃない?


それはないか。思いつく限り書いた。でも、こういう話はうんざりだと思うので――


続けて今までの未遂歴を書いた。裸足にパジャマで橋の下までロープ片手に歩いていったら、既に他のロープが設置されていて思わず笑ってしまったこと。近所の落差100mくらいある崖でうろうろしているうちに夕日が落ちてきて、綺麗だったのでそのまま帰ったこと。溺れ死のうと車ごと冬の川に飛びこんだけど、腕一本折れただけで即退院したこと。


死にたくなるのは仕方ない。そういう性分だから。自分も何度もなったし、きっかけさえあれば確実にまたそうなる。
どのような立場で話すべきなのか。私は目の前に立って、それはよくないと止める立場にはなれなかった。納得させられそうな言葉を持っていなかった。それが心からよくないことだとは思っていなかった。


ただ、他にも似たようなこと考えてるのがいる・そう思ってしまうのは一人だけじゃないんだとわかってほしかった。
ー飛び降りるのが私にはいいかもしれない


その日のやりとりはそこで終わった。こんなにやかましくされたら多少気も削がれるだろう。少なくとも今日のところは。私はいつも通りどーでもいいツイートを少しして寝た。彼女もいつも通りの気持ちに少しでも戻ってくれればいいのだが。


その2に続く